たぶん・・・だと思います。ここがアメリカ・カリフォルニアで一番早くできたコストコだと思います。(英語でよくわからない・・・)
アメリカでは、コストコとは言わず「コスコ」と呼ばれています。

やはり入り口は、日本とまったく同じ。

店内の雰囲気も日本もアメリカも同じ。ただ人が少なくて閑散としていました。

これは、障害者用の電動車イスと買い物カートの一体型。

ただいま充電中

車椅子利用者でもお買い物も駐車場までもスイスイ!
日本にこれあるのかなぁ~?あればいいのになぁー!

アメリカの障害者用の駐車スペースはどこでもこの広さです。
アメリカでは1990年、店舗やオフィスなどの公共施設では障害者への施設利用の配慮が義務づけられたそうです。全米の基準と州の基準とがありそれぞれクリアしなくてならないそうです。細かくチェックがあるそうです。
建物及び設備のためのADAアクセシビリティガイドライン
The Americans with Disabilities Act←こちらについて現状はその分野で仕事なさってる方に直接伺いました。
クリック↓お願います↓

今日、髪の毛を切りに美容院へ!

こちらが↓こちらへ(昨日→今日)

気のせいか、髪の毛切るとちょっと若返った気分♪
最近、フェイスブックばかりでブログから遠のいていました。
今年の冬は寒くなるのが早いような気がします。気のせいかな―?
このところ毎日、毎日、サトイモ食っています。
夫のお友達がたんまりとくれたので。
今年中にどうしても方向付けをしておきたいことがあるので、メールでお呼びたてしている人がいます。
今後の脳卒中に集まりについてです。
健常者の方には理解できない部分ですよ。
中途障害者は、先天性の障害の重い方とちがってちゅうぶらりん。手足の機能に問題はなくても、感覚がにぶくなったり、記憶力が低下したり、視界がおかしくなったり、しゃべれなくなったりする人もいます。そういう障害者と健常者のあいだに生きる人の生活圏を拡大したいのです。併せて、先天障害者だけど限りなく健常者に近い人の社会参加しにくい人の生活圏広げたり、健常者のみの社会への参加、もしくはそういう隔たりをなくしたいのです。
それは、もう十数年前に、色々な障害者施設や、ボランティア団体や活動者のところへ話を聞きにいっていたことを思い出したのです。
以前やっていたことが、どんどん繋がってきているのです。
自分だけが元に戻っても、障害者時代に得た友達とつきあっていく。
自分だけが健常者になったとしても、身体の動きどうのうって関係ないじゃない。
今まで、色々な方と知り合ったときにみんなとお腹を抱えて笑い合ったときに身体の不具合なんて気にしたことなかったし。そんなことよりも楽しかった!
でも、いくら身体の障害がどうのこうのいっても根性が曲がってる人は付き合えない。
それは誰でも同じですよ。
障害が重いからってつけあがってる人は私の視界には入らないみたいです。
それはみんな同じですよ。ね、〇太さん。
私は、今から5年ほど前に脳卒中になり左半身にマヒがでたことによって身体障害者となりました。
歩行の際、杖を使用しています。靴を脱いで入れる部屋では杖なしでも歩行できます。大型ショッピングモール等の買い物のときなど、たまに車椅子を利用しています。
以前から思っていたのですが、障害者というと、服装は、介護服・ユニバーサルデザインとなってしまうのでしょうか?障害者は高齢者とおなじなのでしょうか?なぜ、ユニバーサルデザインでなければいけないのでしょうか?
私は、中途障害者なのでいくら障害者になったといってもいきなり介護服やユニバーサルデザインの服を着ること、デザイン的なことや自分のライフスタイルを曲げることに関して抵抗があります。
障害者は、普通です。ちょっと身体の機能に難があるだけです。自分なりのファッションスタイル・ライフスタイルを普通にやっていきたいのです。
それで障害者を障害者としての置き去りにするのではなく、障害者としてのハイセンスを引き出したい、障害者はノーマル。そういうことで障害者に対してファションを提案している話題を集めてみました。
*
ロンドンの秋のファッションを彩る車イス*
車椅子モデル起用英国デパート*
デベンハムズモデル*
視覚障害者モデルによるファッションショー *障害者の服の注文服
Bulan Plan

だいぶ寒くなったなー。最近、ブログを書いてませんでした。元気でしたが、なんか自分と向き合うのを拒んで(?)いたのか?いや、レンズをズームアップしすぎて超拡大な位置でしか自分を書くことができなくなって重すぎて書けないと思ったから。
このところ普通に時間は流れていて、特別忙しいとか、体調が悪いとはありません。
私は、今、イラストを毎日描いていて、私の作ったキャラクターなんですが、(ここにアップしているイラストではありません)娘がグッズを作ると言ってはりきっているんです。
イラストを描き始めたのは、去年のはじめなのでそろそろ二年です。なのにイラストの仕事したいとは、ずいぶんずうすうしいのですが、今現在暇ですから。でも気持ちの上では暇はなくて、いつもいつもあせっています。
早く自立したい気持ちは止まらないのです。
私が病院から退院してこれからどういうふうに人生を歩んでいったらいいのか?途方にくれていた頃、ドクターは高齢者が通う「ディサービス」へ通えと言ったのです。私は「えー!」と言ったらドクターは涼しい顔して「どうしたのですか?」
私は、病気で障害者になってしまったけれども急に高齢者になったわけではないと思っていました。でも、日本では、社会で働けない「使いモノにならな」くなった人は、高齢者の扱いなんですね。年齢が高齢者に達してなくても使えないので高齢者としての分類にしてしまうのですね。(クソー)
でも私は、当時42歳だったので高齢者としての自覚がなく、抵抗しようと。だいたい障害者の自覚もないのに高齢者として生きる自覚ないですよ。でも社会は、行政は、高齢者として生きる生活圏しか提案がないのですよ。(クソー)
このことは、同世代で脳卒中になって障害者になった人の共通した悩みなのです。
そりゃ、高齢者レベルの運動能力しかありませんよ。最近ホンダのアシモ(野郎)の開発発展がさらにすすみなんと歩行に加えあの野郎(私は、アシモが嫌い)生意気にも走れるようになったそうだー!ヒト型ロボットに運動能力を追い抜かれ悔しいです。でも、私はあいつに比べて人間だし。しかも高齢者でもないのです。でも私は、高齢者とみなされ(みなし高齢者)運動能力は機械ごときに追い抜かれ・・・
とにかくみるものきくもの向かうところどこでも抵抗してまわっているわけです。
以前、市の機能回復の会に参加して参加期間終了後に「いきいきセミナー」へのご案内があったのですが、それはちょっと・・・。と抵抗して自分で会を作ったのです。でもその会も最近はうまくいっていません。
その問題点は、あまりにも年齢の幅があるからです。趣味が会えば年齢も何も超えてしまうかもしれませんが、私の行くところ、行くところ共通点は「脳卒中」だけです。いくら同じ病気でも人も人生それぞれでみな何も一緒で同じというわけではありません。
自分が思ったことを押し殺し、まわりの人の顔色をうかがいうすら笑みを浮かべてそのとき、そのときをやり過ごせるほどの余裕は病気で障害者になってしまった私には持ち合わせていません。

久しぶりに夫の親友から電話があった。長々と話していて夫の足は浮足立っていた。でもそのあと夫は深夜遅くまで勉強していた。何時に寝たのかは知らない。
ここ二、三日は外へ出ていない。今日は雨で、昨日はちょっと暖かかった。ついこの前まで暑いと言っていたのに今では暖かいということで気温の上昇をありがたがるようになってきていた。季節の移り変わりてなかなか変わらないようであっという間に過ぎていくものなんだね。
障害者関係のことでいろいろ気になってあちらこちらへメール送ってもなしのつぶてだ。
私の場合、健常者からすれば「所詮、障害者」先天性で重度の障害者からすれば「へん、中途障害者でしょ、もともと健常者じゃん」てな具合でどっちにしてもとりつく島なしのちゅぶらりんなのかもしれない。
だから脳卒中障害者連中は生き場を失う。身体の障害がいやなので耐えられないのではなくて、自分たちの行き場がないということが困るのだ。
だいたい脳卒中は、おじいちゃん、おばあちゃんのなるもんで病院では高齢者向けの対応しか準備していない。うちら40代はイレギュラーなのだ。
私は、42歳の誕生日前の41歳のときに倒れる。右脳の手術が施されてしばらくICUにいて一般病棟に移動。ちょうど、グローブのKEIKOとおなじような感じ。そのときは、食事もできないのでずっと点滴だった。
オムツをあてがわれ、担当のナースは、私に排便があるないを注意し浣腸すると言いだす。「えー」と思ったけれども立ちあがってトイレにも行けないのでしぶしぶナースに従う。
それからオムツに「あっ」ナースが一瞬びびったことがあった。そのときは私は生理がはじまっていたのであった。脳卒中患者で満杯の脳神経外科病棟内の患者で生理があるなんて・・・というくらいチョウーめずらしいことみたいです。
脳卒中は高齢者の世界みたいなのでまだ閉経前の女性は登場していなかったみたいなので、このナースの焦り方をみて私は、ちょっとあることを思った。
あること・・・それからこのあることがことあるごとにこのあることに気づく。このあることに取りつかれる、じゃなかったとり憑くかなぁ~。べつに早口ことばじゃございません。
あることの
あるとは、若い人の脳卒中、中途障害者のこと。脳卒中になる人は多いけれども30~50代でなる人は少ないらしく、障害者はたくさんいるけれども中途障害者は少ない。
私はこの
あるなのだ。
この立場の弱い声の小さき人々の声を伝えていこう~と思うのだ。
今までは、障害者ということで調べたりしていたけれども、今では、中途障害ということで調べていると・・・。

昨日、ダメだったことは今日はできました。よかった。まだ寒いというほどではないのですが、微風というのではなくやさしくない風になってきました。落ち葉は、落ちバになってきました。そう真っ赤な葉が量が多くなってきて公園の地面を埋め尽くしだして、葉をよけながら歩くほどです。(公園のなか歩いてないけど、あくまでもイメージです)
脳卒中で中途障害者になった人の社会復帰を考えたくて情報集めていますが・・・。実際けっこうあるのですよ、あっちこっちの地域やNPO法人立ちあげているところもありますが、私が言ってるのはちょっと違うのよ。
たいてい障害者の仕事ってクッキーつくりだったり絵手紙の絵ハガキ販売とか高齢者たちがやっているような和紙で作った小物販売とかって多くないですか~。ちょっとお遊び的で申し訳程度に仕事としてつくったってかんじのことにしちゃってませんかー?
あとね、企業化してバリアフリー化の企業へのご提案・コンサルタント等や自分の障害者生活話しをする講演家に転じている人もいますよね。
そういう特別なこと、障害者ということを特別視するのではなく生活に根付いたことを障害者にやらせようではないでしょうかー!
障害者は普通の人、ただちょっと身体が「ヘン」なだけ。普通ですからー。恋愛もしたいし、不倫もする(えっ?)←例えばのはなしですよ。
だから普通のお仕事くださいよ。させましょうよ!
障害者というと頭がおかしい人だと思ってるみたいですが、それは一部の知的障害の人ですよ。それにおかしくはないですよ。そういう程度の人なのですよ。そういう人にも大なり小なりのプライドも性欲も強欲も教養もあるんですよ。それを資質と捉えませんか。
私は中途障害者だから、それも比較的軽い方の。だって歩けるので。手も片手ですがこうしてパソコンのキー打てますし、このとおり絵も描けます。
けっこう力あまってるわけですよ。
私は絵ハガキ売りとか和装小物つくりとかではなくて障害者による障害者向けの
アプリなんかつくってみてはーと思っているんですよ。
私のまわりの人でけっこう多方面に知識や技術持ってる人もいるんですよ。
あと知的障害者でもうまくなくても絵描くとか参加とかしてわずかでも社会参加仕事としての手ごたえ感じたらよくないですかー?!
あとね、昭和チックなことじゃなくて・・・絵はがきとか和装小物とかじゃなくてステッカーのデザインとか、絵手紙の絵もステッカー化するとか絵をデスクトップにとか・・・。
もうね障害者にやらせることっておばあちゃんぽいことが多くないですか?
せっけんつくりだとか。
服もさー、脱ぎ着させることのみに焦点が絞られていて色とかデザインとか無視してないでしょうか?
いくら寝たきりでも女の子にはピンク色着せろよー!チャ色とかおうど色とかやめろよー!って思うのですよ。
前からなんかないかなー、といつも思っていて今度こそはカタチにしてみんなで納税者になりませんかー。
ナミネねーという人がそういうことで活動してるんですよ。
そのことについて書いた記事→http://yaveo.exblog.jp/12556249/
社会では、やっぱ障害者を馬鹿にしてますよ。障害者になれば誰でも感じてるけどあんまり言わないだけですよ。人間として落ちてますよね。高齢者は旧ってかんじだし、障害者は不良品みたいな枠ですよね。まあ反論できないけど、もしあなたが障害者になったらどう思いますか?
私も人ごとだと思ってました。まさか自分がこうなるなんて思ってもみませんでした。
明日は我が身ですよ!

信じてもらえないかもしれないけれども今のところ夫は、毎日勉強しています。しかも昨日も今日も酒を飲んでいない!!だからきっと今年の冬は雪が多いか真冬に夏日になるか?どっちにしても普通ないことが起こる前触れです。(もう大地震は勘弁してほしい)とにかく試験まで日がないので。
先週、友達が連れて来てくれたスピリチュアル系の研究者が私を通し。じゃなかった透視してくれたんです。それで私の過去の出来事のしこりとなっている部分を読み取りそれが溶解していけばいいというようなことでアドバイスくれました。それに基づき、私は、彼女が感じた私の大きさ(ガタイとか、肥満度とかじゃなくて、人行動とかパワーとかさ、別名器《うつわ》ともいう)に大胆に行動しようかと思うようになりました。自信をもつというか、正直に行動しようかというか。
夫なんてもっとすごいこと言われたんだからー。ズに乗るので言わない。
私のまわりでうごめく(??)明けない夜の住人たち。そう行き場のない障害者たち・・・と書くとなんかマイケル・ジャクソンのスリラーのおばけバックダンサーのようにおどろおどろしいイメージ(イメ―ジダウンさせんなよ)ですが、まあ満足とはいえない生活圏のなかで暮らす障害者の問題を考えようとか、民族問題とか、セクシャルマイノリティーについて勉強しようと思っていたわけです。去年はたしか美術検定受けるとか言ってなかったっけ?ヤメタんです。今はそれどころじゃないのです。以前はそういう教養を高めよう的なことに酔っていたんです。もちろん絵は好きです。本来の趣味は絵画鑑賞くらいしかなかった。
でも、生きやすい社会。不満社会。日の当らない人の生きる生活圏ってどうよ?ということにムクムク思いが湧いてきていてワ―。そういうことを調べて不自由を自由に!フリーじゃなくてりバティーをつかみどりしたい(?)と思ったのですよ。
もともと女性問題に興味があったのですが、身体がこんなんで(脳卒中にて左半身マヒの障害者認定2級)女性問題でもないだろーという部分もあるんですよ。難しいですよ。
私が子供の頃、全国子供電話相談室で
こどもの質問者「中ピ連って何ですか?」
回答者「・・・」
この中ピ連というのがなんか騒いでいたんですよ。でも意味わかんなかった。
そしたら中ピ連の中は、中絶反対の中であり、中ピ連のピはピル解禁のピという意味だそうで、そういう女性解放連合という会だということを最近ようやくわかったわけです。
確かにこの問題に向き合ってきていましたね。でも今はこの逆で中絶は不妊に変わり、ピルは解禁になっていて女性は婚活にはげんでいます。世も変わりましたねぇ~。
だから旧態以前の社会学者、女性学者らの訴えていることと今現在は、ズレていてもう古いのです。もうバージョンアップ、もしくはアップデイトしないと。つねに進化し変化し続ける生き物のような社会学。とくに女性は早いですからね~。つかみどころないです。
だから私は、何を見つめていて、何をプレゼンしたいのかさっぱりわからなくなってきてしまったのですよ。
ミソジニ―(女性嫌悪)にむきあっていこうとしたけれども・・・なんか私女性同士で浮くんだーとしょぼくれていた。でもよおく考えてみるといつも自分と絶対に相容れないタイプの人のなかにいたわけで、すべての人がこうというわけではないので、そういうふうに決めつけることはないと考えをアップデイトさせてみることにしました。
普通のノートの表紙にお気に入りの切り抜きをベタベタ貼った・・・コラージュ?
昨日のおそくから雨で、今朝は強く降っていました。昼前には雨は上がった。前々から、やろう!と言われていたSkypeのカメラ、イヤフォンマイクを設置してSkypeの準備やりました。そして30分くらいしていきなり「もしもし・・・」わー繋がった!感動と驚き。だってアメリカだよ~。国際電話じゃないんだよー。なんて便利になったのー。友達とかなりマジな話しをしていたら友達のダンナ(アメリカ人)さんがカメラ内に乱入!けっこう酔っていたらしく、こちらは、笑いがとまらない。そういうおかしなことの連続で・・・。
ビール類についていた応募シール集めてゲット。今も普段に着ているなでしこTシャツ
そんでもって言われたこと・・・。それで私は、いろいろ考えさせられた。まあ、私が見失っているナニカを思い起こされた感じだった。
友達が言うにはもうプロフィールとか、自分という人間を紹介するときに・・・私はこういう人というアピールで
障害者、障害者ということを軸にするなっ!と。
「あなたは、障害者ではない」そう言われた。今現在、身体に不自由は持ち合わせいるが、確実に回復しているし、全然障害者じゃない。そういうモードじゃない!と。
そういえば、この間、伯父の金婚式の際に従妹に「障害者に見えない」って。母も「もう治っちゃいなさいよ!障害者なんて」久しぶりに会った友達も「全然わかんないし、かわんないよー」と言われたのを思い出した。病院から退院して間もなくの頃そういえば夫は「治っちゃえ、治っちゃえ」とか「絶対に障害者になんかしないよ!」と言われていたんだった。
私は、すき好んで障害者という立場をとっているのではなく”しかたなく”障害者を演じているのかもしれない・・・。確かに左手も左足もちょっと変でしゃべる時にも不安定だったり気候の具合で違っちゃたりする。それで障害者手帳を持ってるけども、考えたら「イヤ」なのだ。無理しているのだ。でも無理に慣れ、本当の障害者になろうとしている・・・というか固定の障害者になっていくのかも・・・ということに抵抗を持たなくなってきていた。
でも本当はイヤなのだ。正直「ダサイ」もん。ダサくならないために障害者は努力して、克服しようとする「がんばり」をした人は、障害者であってもダサくないんだ。そのへんのところ・・・。
正直言って、私にとって障害者でいるのは辛いのだ・・・。身体云々の前に、社会での処遇が・・・。障害者っていうと昔は障害者のことを「しんちゃん」と人は呼び影でからかっていた。いや、からかわれていた。バカにしていたのだ。私は、バカにはしていないが、社会のお荷物的にはみていた。だから今の私が社会のお荷物で切り捨ての位置にいるんだということに悔んでいた。
でもそういう思いも最近では薄れ・・・いきいきフレッシュのような活動に何かを見出そうとしていた・・・無理に。
それしかないっ!というあきらめ的なもうちょっと乱暴に言っちゃうと惰性になっていたんだと思う。
考えてみれば、身体障害者に生まれたわけではないし、基本的に友達は健常者で、私を健常者の部類でみていてくれているのだ。
だから私は、自分の身の振りについてあらためてきちんと考えていこうと思う。
こちら→
http://ameblo.jp/ihoujinn2/entry-10905210098.htmlは、被災地の支援活動について書かれた方のブログでマイミクさんからのおススメ記事なので載せておきます。
ブログのはじめはこちらから
→片方だけのパンプス
にほんブログ村
倒れるずっと前に縫っていたクレージーキルト?的作品・・・一応カバーです。
昨日、実は予定していたことがお流れに~。雨が降ってきたので予定変更です。予定は郵便局へ郵便物を持っていくことです。あと図書館へ本(サラリーマンの死:アーサー・ミラー)を返しにいくのです。急きょ用事ができたそれは、「送ってくれ~」ということに速やかに応える郵便物の送付。
市議で私のところへ通いの元PTだった先生へ、いきいきフレッシュのフレッシュらしからぬフレッシュ通信を送ったのです。それに対してReあり!なんと今度、県の「高次機能障害」関係のところへ出向いていくんですって。だから色々情報集めるらしい。
この間、地域の集まりとそのあとの交流会に先生参上。
そのときに夫が「いえね、妻は障害者、障害者認定受けてない状態にある人や、脳卒中で障害が出たからって高齢者といっしょくたにされる。身体の運動状態は高齢者レベルであっても実年齢と気は“若い”という矛盾状態のグレーゾーンに困ってる~」ということを話しはじめたそうです。そんなときにドカっと役員の人が割って入るように一升瓶を前に置いてその場の空気が変わっていたのだそうです。それは、夫から聞いたおハナシです。
今現在、私たちの状況
*使用しているふくしプラザの木曜日の午後の二階が使いやすいのだ
・・・同じ階に給湯所がある、トイレが近い・・・
が、いつも木曜の午後は、介護保険関係の会合会場になっており万年使用不可なのだ。
・・・仕方がないので三階のレクリエーション室をしぶしぶ使う・・・三階には、給湯所がない。 トイレが遠い。
ふくしプラザは、高齢者と障害者が優先利用できる施設のはず、障害者が遠慮しなくていけないのかっ! *ふくしプラザの上階にトレーニングルームがあるが、利用は、高齢者(老人の寿章もってる人)と障害者手帳持ってる障害者のみしか利用できない!
私たちの仲間のなかで、健康体でなく(脳幹内出血を二回発症して現在在宅生活者)障害者認定の手帳も持っていない人・・・どちらにも属することのない人・・・でも障害者寄りの人がいるがこのトレーニングルームの利用は断られた!
しかも、一般のスポーツクラブへ行けば!と言われた。
彼の場合は、脳卒中発症したわけだから就労はできない。障害者認定も受けられないので、医療費は実費支払う。生活費も得られないので生活は困窮している。*高次機能障害の人は、リハビリ・・・機能回復のために参加できるところがない・・・健康管理センターの機能回復の「いきいき教室」の参加期限が一年くらいと短い。
期間に制限がないのがなんと「通所ディサービス」くらいしかないっ!
いくら認知症ぽいといっても(私の知ってるTさんは、記憶障害。短期記憶ができない。パソコンでいえばメモリー。発症以前の記憶は、パソコン本体に記憶されているようなイメージでしっかりとある。今の彼は、過去の記憶の蓄積から引き出しているだけ。記憶の更新ができない。)行動や交流が高齢者と一緒では、やはりテンポが合わないらしい。
*手帳取得できない健常者と言いきれない障害者の生活・・・障害手帳なし、年金受給できない・・・奥さんがいるが、生活保護世帯になっとしたら・・・マイカーを持ってられない・・・車がなければ困る。
だから・・・障害者と健常者という大枠での区別ではなくその狭間で生きる人のことをなんとかせんかい!
健康でもなく障害者手帳持てないくらいの軽めの障害者の立場を理解してもらいたい。そういう人こそが真の弱者である。グレーは困る。絶対に困る。
↓ランキングサイトに登録しています。クリック
にほんブログ村
義母からいただいて作れなくて押入れの肥やしになっていたのでオークションに出した人形キットさっき、ふくしプラザへ行ってきました。
先週のいきいきフレッシュの際、使用した会場の使用届けを出さないでうちに持って帰ってしまったのです。ふくしプラザから夜(その日:先週7日木曜日)、電話をもらったのです。ギャーやってしまった(~_~;)
それで週明けの今日、のこのこ返しに行ったのです。
知人から以前いただいてオークションにだしたウエディングハット、ベール等のサンプルついでに7月の上旬の予定をとってきました。そして・・
以前いきいきフレッシュでやったフラワーアレンジメントをうちのテーブルにアレンジメントした場面・・・ふくしプラザにはトレーニングルームがあるので利用について聞いた。
ふくしプラザは、基本的に老人&障害者の利用ということがメインで無料で利用できるのです。でもなかには一般の人でも有料であれば利用できるものもあるのです。でも健常者でもなく障害者でもなく老人でもない人の利用はどうなんですか?と聞いてみた。
トレーニングルームは、障害者と老人の利用しかできないのです。この場合の障害者とは、障害者手帳を持っている人のことなのです。でも、うちらの会には、老人でもなく障害者手帳をもっていない健常者扱いの障害者がいます。医学的には、障害者の範疇ではないのですが、絶対に健常者ではないグレーゾーンの人がいるんです。こういうタイプの人のふくしプラザ利用できないものかとちょっと食らいつく(?)ようい聞いた。でも、ふくしプラザの事務所の人は、できませんの一点張り。あー、福祉の壁かぁー!福祉って、困ってる人のためではなくて困っていると国の基準に当てはまった人のためのものなのねー。あーわかったわー、わかったわー。グレーゾーンの人は、生きられないのねー。あー、わかったわー、あーわかったわー、健常者か、障害者のどちらかしかだめなのねー。ふざけんなー!そういう人、そういう国に限ってこれから続々とどっちつかずのグレーゾーンの人だらけになるわよ。福祉ってこういう人の救済をするものではなく、どちらでもない吊るし上げの立場に陥らせるように機能してるのが、今の日本の福祉なのねー。
いきいき教室時代にやったデコパージュということで課題が出来た感があります。こういう解せないことに対して食らいついていこうと思います。ふざけんなよぉー、おらぁー・・・脳卒中ヤクザと化してる。
今は、大震災に被災地、被災にあった人の救済支援が優先的に行っています。が、それは、それ。他にもたくさんの問題はあるのです。もう、涙じゃなくて怒りがこみ上がってきてたまりません。生きるとは、国の基準に従順であるということなのでしょうか?人それぞれ違う事情への歩み寄りはないのでしょうか?都合の悪い人は、排除するということが国のお仕事なのでしょうか?人の心に温かいものを感じるようなコトってだめなのでしょうか?
だいたい、ふくしプラザ(伊勢崎市の場合は、社協:社会福祉協議会)って人の小さな喜びのお手伝いや歩み寄りよりも、きまりによって泣きを見る人ができてしまって小さな不幸をつくるお手伝い?なんでしょうかー。なんか、わけわかんなくなってきちゃったー。
娘のバッグとにかく私たちの中途半端の状態を打破することに向き合っていこうとおもうとムクムクしてくる!
健常者でもなく障害者認定でもない人。
老人でもなく障害者でもない人。
高次機能障害な人。
厚生労働省とかで認められてない病気や障害の人。
無料メールマガジン閲覧・購読登録はこちらから→
こちら↓ランキングサイトに登録しています。クリック
にほんブログ村